監修弁護士 松下 将弁護士法人ALG&Associates 姫路法律事務所 副所長 弁護士
- 労働審判
従業員から労働審判を申し立てられたとき、会社側の主張がどこまで認められるかは、その主張を裏付ける「証拠」をどれだけ揃えられるかに大きく左右されます。
労働審判は通常の訴訟と比べて審理のスピードが格段に速く、準備に使える時間はごくわずかしかありません。限られた期間のうちに、事案に即した資料を的確に集め、適切なタイミングで提出できるかどうかが、結果を分ける最大のポイントといえます。
この記事では、労働審判で証拠が重視される理由から、不当解雇・残業代請求・ハラスメントといった類型ごとに準備すべき証拠、提出時期のルール、そして証拠の隠滅・改ざんがもたらすリスクまで、会社側の視点で順を追って解説します。
目次
なぜ労働審判では証拠が重要視されるのか?
労働審判に限らず、司法手続では、当事者がどれほど熱心に自らの言い分を語っても、それだけで事実として認定されることはほとんどありません。
人の供述には記憶違いや誇張、意図的な虚偽が入り込む余地があるため、裁判所は、契約書や記録類など、後から作為を加えにくい客観的な資料を手がかりに事実を見極めようとします。
加えて、労働審判には手続上の大きな特徴があります。
労働審判は、個別労働紛争を迅速に解決することを目的とした制度であり、審理の回数について、特別の事情がある場合を除き、3回以内の期日において、審理を終結しなければならないという上限が設けられています(労働審判法15条2項)。
原則3回以内という短い期日の中で、労働審判委員会は事実関係を把握し、心証を固めなければなりません。じっくりと証人尋問を重ねる時間的余裕がない以上、書面や記録といった客観証拠の持つ意味は、通常の訴訟以上に大きくなります。
だからこそ、労働審判では証拠の収集と提出が勝敗を左右するのです。
労働審判を有利に進めるために必要な証拠とは?
それでは、具体的にどのような証拠を準備すればよいのでしょうか。
まずはあらゆる事案に共通して求められる基本資料を確認したうえで、争いの類型ごとに有効な証拠を見ていきます。
①基本的に必要な証拠
どのような労働審判であっても、出発点となるのは労使間の契約内容です。雇用契約書(労働条件通知書)や就業規則は、当事者の権利義務を定める最も基本的な資料であり、ほぼすべての事案で提出が必要になります。
また、勤務の実態が問題となる事案では、タイムカードや勤怠管理システムの記録、賃金台帳、給与明細といった資料も欠かせません。
これらの資料は労働者側ではなく会社側が保管しているのが通常であるため、裁判所から提出を促されることもあります。
立証責任の所在にかかわらず、基本資料は会社側で速やかに準備しておく姿勢が望まれます。
②不当解雇の労働審判で必要な証拠
解雇の有効性が争われる事案では、その解雇に正当な理由があったかどうかが最大の争点となります。
解雇の効力については、労働契約法に次の定めがあります。
労働契約法第16条
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
この「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」を裏付ける資料が、会社側の提出すべき証拠となります。必要な証拠は解雇理由によって変わります。
たとえば能力不足を理由とする解雇であれば、日々の注意・指導の記録、改善を促した際の面談メモ、本人が提出した反省文や顛末書、人事評価の査定資料などが、解雇に至る経緯の正当性を示す証拠になります。
解雇通知書や解雇理由証明書の写しも手元に揃えておきましょう。
整理解雇に関する証拠
経営上の理由による整理解雇では、①人員削減の必要性、②解雇回避努力、③人選の合理性、④手続の相当性という4つの観点から有効性が厳しく審査されます。
人員削減の必要性を示すには、決算書や損益計算書、資金繰り表など、経営状況の悪化を客観的に示す資料が必要です。
また、整理解雇は経営難に対する最後の手段と位置付けられているため、解雇の前に役員報酬の削減、経費圧縮、希望退職の募集、配置転換の打診など、他の改善策を尽くしたことを示さなければなりません。
経営改善策を議論した取締役会や経営会議の議事録、希望退職や配転募集の社内通知などが、その裏付けとなります。あわせて、対象者をどのような基準で選定したのかが分かる資料も準備しておくべきです。
懲戒解雇に関する証拠
懲戒解雇の場合、まず前提として、懲戒の種別と事由が就業規則に定められ、それが従業員に周知されていたことを示す必要があります。
懲戒権の行使については、労働契約法に次の規定があります。
労働契約法第15条
使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。
そのうえで、従業員が懲戒事由に該当する行為を実際に行ったことを裏付ける証拠が必要です。
社内調査の報告書、関係するメールやチャットの記録、防犯カメラの映像などがこれにあたります。
さらに、懲戒処分の中でも最も重い懲戒解雇を選択したことが相当であったといえるためには、過去の懲戒歴や注意指導の記録、本人に弁明の機会を与えたことを示す資料も重要になります。
③残業代請求の労働審判で必要な証拠
未払残業代が請求された事案では、まず、どのような労働条件で就労していたのかを確定するため、雇用契約書、就業規則(賃金規程を含む)が基本資料となります。
そのうえで、実際の労働時間が中心的な争点となるため、タイムカード、勤怠管理システムのデータ、入退室記録などの提出が求められます。
固定残業代(みなし残業代)を支給している場合には、その金額と対象時間数が明確に定められていることを示す規程や契約書の該当箇所が不可欠です。
実際の支給額を示す賃金台帳や給与明細も提出します。
なお、打刻後の残業や持ち帰り残業が疑われる事案では、従業員側からメールの送信履歴やパソコンのログが提出されることもあります。
会社に不利に見える記録であっても、隠すことはかえって大きなリスクを招くため、取り扱いに迷う場合は弁護士に相談してください。
④セクハラやパワハラでは「証人」が重要
セクハラ・パワハラをめぐる事案では、会社の使用者責任や相談を受けた後の対応の適否が問われるため、相談窓口の受付記録、ヒアリングの実施記録、調査報告書、加害者とされる従業員への処分記録など、会社としての対応経過を示す資料をまず整理する必要があります。
もっとも、これらの資料だけでは、ハラスメント行為そのものの有無を証明することはできません。
ハラスメントは人目のない場面で行われることが多く、録音や動画といった直接的な記録が残っているケースはむしろ少数です。
そこで重要になるのが「証人」、すなわち現場を見聞きした同僚など第三者の証言です。
当事者以外の中立的な立場からの供述は、行為の有無や態様を判断するうえで大きな決め手となり得るため、関係者への聞き取りを早期に行い、その内容を証拠化しておくことが有効です。
労働審判の証拠の提出について
証拠は集めるだけでは足りず、決められた期限までに提出して初めて意味を持ちます。
労働審判では、原則として第1回期日までにすべての証拠を提出できるよう準備を進める必要があります。
証拠収集の準備期間は短い
労働審判が申し立てられると、会社には裁判所から申立書が送達され、第1回期日の日時と答弁書の提出期限を記載した呼出状が同封されてきます。
答弁書の提出期限は、呼出状が届いてからおおむね2~3週間後に設定されるのが一般的で、証拠はこの答弁書と一緒に提出することになります。
つまり、従業員側の主張を分析し、反論の方針を固め、その裏付けとなる資料を社内から探し出して整理する作業を、わずか数週間でやり切らなければなりません。
どの資料が証拠として有効かの見極めには専門的な判断が必要ですから、呼出状を受け取ったら、できる限り早い段階で弁護士に相談することを強くおすすめします。
証拠は第1回目期日で全て提出する
前述のとおり、労働審判は3回以内の期日で審理を終えることが法律上予定されていますが、実際には3回すべてが開かれるとは限りません。
多くの事案では、第1回期日で事実関係の審理が実質的に終わり、労働審判委員会の心証もこの時点でほぼ固まります。第2回以降は調停による解決の協議が中心となるのが通常です。
したがって、証拠は第1回期日までにすべて出し切ることが鉄則です。
「この資料は交渉の切り札として取っておこう」といった出し惜しみは、労働審判委員会に検討してもらう機会そのものを失うことにつながりかねません。
短い準備期間の中で証拠を漏れなく把握し、収集し尽くすことが極めて重要です。
証拠の追加提出はできるのか?
では、第1回期日までに間に合わなかった証拠を、後から追加で提出することはできるのでしょうか。
この点について、労働審判規則は次のように定めています。
労働審判規則第27条
当事者は、やむを得ない事由がある場合を除き、労働審判手続の第二回の期日が終了するまでに、主張及び証拠書類の提出を終えなければならない。
このように、第2回期日の終了までであれば証拠の追加提出は可能です。
しかし、第2回期日が終わった後は、やむを得ない事由がない限り新たな証拠の提出は認められません。
また、追加提出が可能とはいえ、心証形成の中心は第1回期日にありますから、後出しになった証拠が十分に考慮されない可能性も否定できません。
やはり、第1回期日での提出を目指して準備すべきです。
関係者の「陳述書」も提出すべきか?
陳述書とは、事実関係についてある人物が体験・見聞きした内容を書面にまとめたものです。
労働審判では証人尋問を行う時間的余裕がないため、関係者の認識を労働審判委員会に伝える手段として、陳述書が実務上広く活用されています。
特に、前述のセクハラ・パワハラのように第三者の証言が決め手となる事案では、目撃者や関係者の陳述書をあらかじめ提出しておくことが有効です。
それ以外の事案でも、会社側に有利な供述をしてくれる関係者がいるのであれば、ためらわずに陳述書として証拠化し、提出すべきでしょう。
作成にあたっては、日時・場所・具体的なやり取りをできるだけ特定して記載すると、信用性の高い証拠になります。
会社側が証拠を隠滅・改ざんするとどうなるのか?
ここまで証拠の重要性を解説してきましたが、注意しなければならないのは、「重要だからこそ、不利な証拠を隠したり、内容を書き換えたりしてはならない」という点です。
改ざんの疑いを持たれた証拠は、それ自体の信用性を失うだけでは済みません。
「この会社の出す資料は信用できない」という評価につながり、他の証拠や主張全体の信用性まで損なわれ、審判で著しく不利な判断を招くおそれがあります。
さらに、事実証明に関する文書を偽造した場合には、刑事責任を問われる可能性すらあります。
証拠の隠滅や改ざんは、目先の不利を取り繕うどころか、会社の立場を決定的に悪化させる行為です。
会社に不利と思われる資料の取り扱いに迷ったときは、自己判断で処理せず、必ず弁護士に相談してください。
労働審判の証拠収集について、弁護士が多角的な観点からアドバイスいたします。
労働審判は迅速な解決を目指す制度であるがゆえに、証拠を収集・提出できる期間と機会は極めて限られています。
どの資料が有効な証拠となるか、どこまで提出すべきかは事案ごとに異なり、その見極めには労働法務の専門的な知見が欠かせません。
判断を誤れば、会社側に不利な審判が下されるリスクも現実のものとなります。
弁護士にご相談いただければ、従業員側の主張の分析、反論方針の策定、証拠の選別と収集、答弁書の作成、期日への対応まで、一貫したサポートが可能です。
労働審判を申し立てられた企業様、証拠収集にお悩みの企業様は、できるだけ早い段階で、ぜひ弁護士にご相談ください。

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保有資格弁護士(兵庫県弁護士会所属・登録番号:57264)
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