労務

残業時間の立証-使用者による労働時間の適正把握義務

姫路法律事務所 副所長 弁護士 松下 将

監修弁護士 松下 将弁護士法人ALG&Associates 姫路法律事務所 副所長 弁護士

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未払い残業代をめぐるトラブルは、近年ますます増えています。労働者にとっては「自分がどれだけ残業したのか」を証明することが大きな壁となりますが、一方で、会社側にとっても「労働時間を正しく管理していなかった」ことで、裁判で不利な判断を受けるリスクが高まります。

また、労働基準法の改正によって、会社には労働時間を客観的に把握する義務が明確に定められています。これは労働者の健康を守るためだけでなく、残業代をめぐる紛争を防ぐためにも重要なルールです。

本コラムでは、残業代請求における立証の基本的な考え方や、実際の裁判例、さらに会社に課される労働時間の管理義務とその具体的な方法について解説します。あわせて、実務でよくある疑問にもQ&A形式で答えていきます。

目次

残業代請求における残業時間の立証責任

立証責任は労働者、使用者のどちらにあるのか?

残業代請求訴訟においては、原則として 労働者が自ら残業時間を立証する責任を負います(民事訴訟法の一般原則による)。つまり、労働者がどれだけ働いたのかという事実を証拠に基づいて示さなければ、請求が認められないことになります。

しかし、労働者は、タイムカードや勤怠管理システムといった会社が管理しているデータにアクセスできないことが多いため、実際には十分な立証が難しいケースも多々見受けられます。

そこで、裁判所は、使用者が労働時間を適切に記録・管理すべき立場にあることを重視し、会社側に記録の提出を命じたり、証拠が提出されない場合に労働者に有利に判断する傾向を示しています。
そのため、実務的には、労働者がまず一定程度の残業時間を主張・立証し、使用者がこれに反論するために労働時間記録を提出するという形で審理が進むことが多いでしょう。

残業時間の立証が争点となった判例

原則として、残業代請求訴訟における立証責任は労働者側にありますが、企業が労働時間管理を適切に行っていなかった場合には、会社に不利な判断が下されることがあります。

その典型例として参考になるのが、平成23年10月25日の東京地方裁判所の判断です。
以下、ご紹介します。

事件の概要

この事件は、広告・映像関連の企画制作会社(以下「Y社」)で勤務していた従業員2名(以下「Xら」)が退職後、Y社に対し、勤務していた8か月間の未払い残業代を請求したというものです。

裁判において、Y社は、タイムカードを一部提出しましたが、記録の欠落や打刻のない日が多数存在するなど、十分な労働時間の把握ができる状態ではありませんでした。

さらに、Xらが証拠として提出を求めた「月間作業報告書」について、Y社は「すでに処分済みで残っていない」と主張し、提出に応じませんでした。
このように、労働時間を裏付ける資料が乏しい中で、どのように残業時間を算定するかが争点となりました。

なお、この事案では、Y社がXらに対して別途損害賠償請求訴訟を提起していた事情もあり、両者の対立が背景にあったことも影響していたと考えられます。

裁判所の判断

【東京地判 平成23年10月25日】

裁判所は、Xらが「会社が本来保有しているはずの作業報告書を提出しないため、正確な算出が不可能である」と主張した点を踏まえ、以下のように判断しました。
労働基準法は、時間外・深夜・休日労働について厳格な規制を設け、使用者に労働時間管理義務を課している。

したがって、使用者が合理的な理由もなく労働時間管理資料を提出しない場合には、公平の観点から、労働時間を合理的な推計計算によって算定することも認められる。
本件においては、Y社が管理資料を処分したなどとして提出しなかった事情がある以上、推計によって残業時間を算出する余地を認めるのが相当である、と結論づけました。

ポイントと解説

この判決の意義は、次のとおりです。

1.残業の存在自体については、基本的に労働者が立証責任を負うと明示した。
2.しかし、労働基準法に基づき使用者には労働時間を管理する義務があるため、提出可能なはずの資料を提出しない場合には、裁判所が公平の観点から労働者側に有利に推計計算を認めることがある。
3.企業が自らの管理義務を怠ると、その不備が裁判において不利に作用する可能性が高い。

実務上の示唆として、企業が「残業時間を証明する資料を提出しない」ことによって労働者の請求を退けるのは困難であり、むしろ裁判所から不利な推計をされるリスクがある点に留意すべきです。

法改正による使用者の労働時間把握義務

労働時間の客観的把握が義務付けられた背景

従来、日本の職場では、労働時間の把握方法として、労働者の自己申告に大きく依存している企業が少なくありませんでした。
しかし、この方法では「実際の労働時間」と「申告された時間」に食い違いが生じやすく、長時間労働や未払い残業が温床となる事例が多数発生しました。

このような状況を受け、政府は「働き方改革関連法」の一環として、労働時間管理の適正化を強化しました。
そして、2019年4月の労働安全衛生法関連の改正により、企業は、労働者の労働時間を客観的な方法で把握することが義務付けられたのです。

これは、単に未払い残業の防止にとどまらず、過労死防止や健康管理の観点からも重要な制度的転換点となりました。

労働時間を把握すべき労働者の範囲

この義務は、高度プロフェッショナル制度の対象者を除くすべての労働者に及びます。
以前は、管理監督者や裁量労働制の適用者について、労働時間の厳密な把握を行わないケースが多く見られました。

しかし、改正後は、これらの従業員についても 労働時間を客観的に把握する必要があるとされており、管理職や裁量労働制対象者であっても労働時間の実態を把握することが必要とされました。
したがって、タイムカードやICカード、PCログ、入退館記録などを用いた客観的把握が広く求められています。

労働時間を客観的に把握する方法

労働基準法や厚生労働省のガイドラインでは、企業は労働時間を「客観的かつ適正に」記録することが求められています。
以下では、代表的な方法と注意点を解説します。

始業・終業時刻の厳密な記録

最も基本となるのは、労働者が実際に働き始めた時刻と仕事を終えた時刻を正確に把握することです。
タイムカード、ICカードによる入退館記録、パソコンのログオン・ログオフ記録など、客観的に確認できる仕組みを用いることが望まれます。

「就業規則上の始業・終業時間」と「実際に働いた時間」が異なる場合でも、後者を正確に把握しなければなりません。

賃金台帳の記入

労働基準法108条に基づき、会社は、賃金台帳を備え付け、労働時間や時間外労働の状況を正確に記録する義務があります。
形式的に作成するのではなく、実際の労働時間に即した正確な内容でなければなりません。

虚偽の記録をすれば、後に未払い残業代請求を受けた際に不利な証拠となる可能性がある上、30万円以下の罰金が科される可能性もありますので(労基法120条1号)、注意が必要です。

労働時間に関する書類の保管

タイムカードや入退館記録、システムログなどは、労働時間管理の重要な証拠となります。

労働安全衛生規則によれば、会社は、把握した労働時間に関する記録を3年間保存する義務を負っています。
紛争に備える意味でも、適切に保管する体制を整えておくことが不可欠です。

自己申告制の場合の留意点

やむを得ず労働者の自己申告に頼る場合でも、企業は「申告内容と実態に乖離がないか」を確認しなければなりません。
例えば、パソコンの使用状況や上司の目視による確認を組み合わせ、形骸化しないよう運用する必要があります。

申告と実態が乖離しているのに放置すれば、裁判で「適切な労働時間管理を怠った」と判断され、企業が不利になる可能性が高いです。

労働時間の把握義務における罰則

労働時間を適正に把握することは、労働基準法や労働安全衛生法上の義務です。
企業がこれを怠った場合、以下のような法的リスクや罰則に直結します。

(1)労働基準法違反による罰則
労働基準法108条は、使用者に対して賃金台帳の適正な作成・保存を義務付けています。
この義務に違反した場合、30万円以下の罰金(労基法120条)が科される可能性があります。
形式的に台帳を作っていても、内容が虚偽であれば違反とされるため注意が必要です。

(2)民事上の責任
罰則だけでなく、労働時間管理の不備は、未払い残業代請求や過労死等の損害賠償請求に直結します。
特に、労働時間記録を十分に備えていない場合、裁判で「労働者の主張を基礎に残業時間を推計する」と判断され、企業に多額の残業代支払いを命じられるケースが少なくありません。

このように、労働時間の把握義務違反は、単なる行政指導にとどまらず、刑事罰や民事責任にまで発展する重大なリスクを伴います。
企業としては、日常的に適正な労働時間管理体制を整備・運用することが不可欠です。

よくある質問

管理監督者の労働時間についても、把握する義務があるのでしょうか?

はい。
上記のとおり、「管理監督者」や「裁量労働制」の適用労働者なども含め、ほぼ全ての労働者(「高度プロフェッショナル制度」の対象者は除く)の労働時間の把握が義務化されました。
健康管理や過労死防止の観点からも、管理監督者の労働時間の記録は必須です。

未払い残業代を請求する従業員から、タイムカードの開示を求められました。拒否することは可能ですか?

拒否することは可能ですが、望ましくはありません。
裁判になれば、文書提出命令により、タイムカードの開示が強制される可能性が高く、これを拒否することで、裁判所が合理的な推計方法で労働時間を認定するなど、会社にとって不利になるリスクがあります。
タイムカードを適切に開示した上で、必要に応じて弁護士に対応を相談すべきでしょう。

従業員自身が作成した出退勤時刻のメモは、残業時間の証拠として認められますか?

従業員自身が作成した出退勤時刻のメモについて、裁判所は、「労働時間の把握に資する補助的証拠」として評価することがあります。
タイムカード等の客観的資料と比べれば弱いものの、PCログ、上長の現認等の他の証拠とあわせて残業時間を推認する要素となり得ます。

残業申請のルールを整備した場合、就業規則の変更も必要ですか?

残業申請のルールについては、就業規則に必ず定めなければならないわけではありませんので、新たに残業申請のルールを整備するだけであれば、就業規則の変更は不要です。
もっとも、残業申請や承認の仕組みを制度化するのであれば、就業規則に規定しておいた方が新しく入社する労働者に対しても残業申請のルールを適用しやすくなりますので、就業規則を変更しておくことは会社にとってもメリットがあるでしょう。

従業員が自己申告できる労働時間に、上限を設けることは可能ですか?

一律の上限制は、違法となるリスクが高いです。
会社は、実際の労働時間を正しく把握しなければならないため、自己申告制を採用する場合であっても、実態確認と併用すべきであり、形式的に「上限までしか認めない」という運用は避けるべきです。

実際の労働時間とタイムカードの打刻にズレが生じた場合、どう対処すべきでしょうか?

まずは、従業員から事情を聴き取り、実態に即した修正を行うことが必要です。
打刻と実際の勤務時間が乖離しているのにそのまま放置すると、後に残業代請求訴訟で会社に不利に扱われる可能性があります。

賃金台帳の労働時間の虚偽記載があった場合の罰則等を教えて下さい。

賃金台帳の労働時間の虚偽記載があった場合は、労基法108条に違反し、30万円以下の罰金の対象となります(労基法120条)。
虚偽記載は、重大なリスクを伴うため、絶対に避けるべきです。

労働時間を従業員の自己申告で把握する場合、その日の労働時間はいつまでに申告させるべきでしょうか?

法令上の期限はありませんが、当日中に申告させるのが望ましいでしょう。
時間が経つと記憶が曖昧になり、正確性が損なわれるおそれがあるためです。

残業許可制の導入は、従業員の残業時間を把握するのに有効ですか?

残業許可制は、残業の抑制に一定の効果がありますが、実際の労働時間の把握とは別問題です。
許可があろうとなかろうと、実際に働いた時間は残業時間として把握・管理しなければなりません。

従業員によるタイムカードの不正が発覚した場合、会社はどう対処すべきでしょうか?

まずは、当該従業員に事実確認を行い、懲戒処分や損害賠償請求を検討することになります。
ただし、不正があったからといって、会社の労働時間管理義務が免除されるわけではなく、他の資料とあわせて実労働時間を把握し直す必要があります。

未払い残業代を請求されてお困りなら、残業問題に強い弁護士までご相談ください。

残業代請求を受けた場合、企業にとっては多額の支払い義務が生じる可能性があります。しかも、労働基準法違反に伴う行政指導や、労働者の健康被害に関連する損害賠償請求など、経済的・社会的なリスクは一層深刻です。

一方で、会社側にも主張・立証できる余地は少なくありません。タイムカードや入退館記録などの証拠の整理、残業命令や申請の有無、労使慣行の確認などを通じて、請求額が大幅に減額されるケースもあります。

こうした残業代請求に対応するには、労働問題に精通した弁護士の助言を受けることが最も有効です。労働時間の管理体制をどのように整えるべきか、どの証拠を準備して交渉・訴訟に臨むべきか、実務経験に基づいた具体的なサポートが受けられます。

未払い残業代の請求に直面している経営者の方は、早い段階で専門家に相談されることを強くお勧めします。迅速な対応こそが、リスクを最小限に抑える第一歩となります。

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姫路法律事務所 副所長 弁護士 松下 将
監修:弁護士 松下 将弁護士法人ALG&Associates 姫路法律事務所 副所長
保有資格弁護士(兵庫県弁護士会所属・登録番号:57264)
兵庫県弁護士会所属。弁護士法人ALG&Associatesでは高品質の法的サービスを提供し、顧客満足のみならず、「顧客感動」を目指し、新しい法的サービスの提供に努めています。
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